〜 なして福岡「アーカイブ」〜  価値ある街へと発展する福岡。その生い立ちを振り返る。

昭和17年(1942)に関門海底鉄道トンネルが開通して本州と陸続きになり、近年、また福岡は大きく変わりました。平成23年(2011)には博多と鹿児島を結ぶ九州新幹線が全通。そして、平成25年(2013)10月から運行を開始したのが、JR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」です。列車名は九州の七つの県と九州の自然・食・温泉などの七つの観光素材と7両編成の客車が由来で「ななつ」にこだわった名称になっています。博多駅の発着で九州7県を周遊する約3,000kmの旅が人気を博し、福岡活性の一役を担っています。ちなみに、九州で最初の地下鉄は、福岡に昭和56年(1981)に開業されています。

そもそも福岡というところは、中国大陸や朝鮮大陸に近いという地理的な影響を受け、古代のころから九州の防備や管轄を行う「大宰府政庁」や、外交、海外交易の施設である迎賓館「鴻臚館(こうろかん)」が置かれました。諸外国との交流の窓口として重要な役割を担ってきました。街道や港、水運を大きく発達させることになり、後の江戸時代には九州を支える交通の要衝となっていきました。明治から昭和にかけては、筑豊地方で石炭の産出が盛んになり、これを活用した北九州工業地帯や大牟田に重化学コンビナートが形成され、福岡は日本の近代化と経済発展を下支えすることになります。

平成18年(2006)には、北九州空港も開港し、ハブ空港として日本だけでなく、アジアをはじめ世界との交流を促進しています。交通基盤や文化機能が向上した福岡に、九州の経済や文化、行政の中枢機能の集積が進む中、今では福岡は九州、西日本、アジアにおける広域交流都市となっています。

____________________  (写真提供/福岡市)

福岡城跡より福岡市内を望む

では、古くからの福岡を順追ってもう少し詳しくひもといてみよう。

弥生時代の頃、稲作が日本に初めて伝えられといわれている福岡は、中国大陸や朝鮮半島に近いことから古代より交易が盛んでした。現在の福岡市西区と糸島市の周辺には「伊都国(いとこく)」が、博多区あたりには「奴国(なこく)」というところが存在したとされ、江戸時代の天明4年(1784)に志賀島で「漢委奴国王」と刻まれた黄金製の印が発見されたことを論拠に奴国は実在したと考えられています。このことから、『三国志』の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記されている、2世紀後半から3世紀頃に日本に存在したとされる最も強大な国、邪馬台国(やまたいこく)の九州説が出てきました。女王・卑弥呼(ひみこ)により支配されていたといわれ、約30カ国が統治下にあったという邪馬台国。その所在地について、畿内から卑弥呼が魏(中国)からもらった銅鏡の多くが出土したことを論拠とした近畿説もあり、今も議論は続いています。

7世紀後半、大和朝廷(天智天皇)は現在の福岡の太宰府市に「大宰府政庁」(政庁の大宰府は「大」を、市名などの太宰府は「太」と書き分けられる)を置きました。遠の朝廷(とおのみかど)とも呼ばれていました。また、外交・海外交易の施設である迎賓館「鴻臚館(こうろかん)」も置かれました。諸外国との交流の窓口として重要な役割を担いました。その前進は「筑紫館(つくしのむろみつ)」と呼ばれ、奈良時代以前から存在していて、海外使節はまずここに入館してから大宰府や都に上がることとなっていたようです。なお、鴻臚館の名称は中国の北斉にあった「鴻臚寺」に由来し、「鴻」は大きな鳥という意味があり「臚」には伝え告げると意味があります。「鴻臚」は外交使節の来訪という意味で、唐の時代に日本に導入されています。

大宰府政庁は九州だけでなく壱岐・対馬2島も管轄し、日本の西の防衛や外国との交渉窓口などの重要な役割を果たしました。大宰府の規模は約25万4000平方メートルもあり、平城京や平安京に次ぐといわれています。府内には政庁をはじめ学校や客館、警固所などの多くの建物や施設がありました。現在では、大宰府政庁跡には、都府楼の礎石が残るのみですが、その礎石を中心に門や回廊などが国指定特別史跡として整備されて、正殿跡に石碑が立つ公園として広く市民に開放されています。

平安時代の中期、延喜元年(901)に菅原道真(みちざね)は、藤原時平(ときひら)との対立から陰謀によって大宰府に左遷されました。2年後に没し、門弟たちによって埋葬されました。その地に建てられたのが、天満宮の総本社である福岡にある、太宰府天満宮の前身、「安楽寺」です。道真は左遷になる時「東風(こち)ふかば にほひをこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」と、庭の梅に別れを惜しんで短歌を詠んでいます。「東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ」という意味の短歌です。そして、この梅が道真を慕い一夜のうちに太宰府天満宮に飛来したというのが「飛梅伝説」です。神木なった飛梅は本殿前で見ることができ、祭神の菅原道真は学問の神として崇拝されることとなり、全国にある天満宮には毎年多くの受験生が合格祈願に訪れます。

鎌倉時代中期に、中国大陸を中心に東アジアと北アジアを支配していた元(げん/モンゴル)の軍隊が、2回に渡って日本侵略のために来襲した役(えき)を、侵略・外敵という意味の「寇(あだ)す」の字を充て、元寇(げんこう)と言います。一般的に「蒙古襲来」とも言われています。元の第5代皇帝フビライ・ハンは、日本の入貢を求めたのですが、鎌倉幕府(北条時宗)にこの貢物自体を拒否されました。これに端を発し、文永11年(1274)に「文永の役」が勃発します。元軍は対馬と壱岐を攻め落としたのですが、博多湾で追い返されます。弘安4年(1281)にも再び元軍は、高麗から兵4万、中国から兵10万で攻めてきますが、「異国警固番役(いこくけいごばんやく)」と称して、兵力と防護力を整えていた時宗にまたも上陸を阻止され、さらに暴風雨の追い討ちを受けて元軍の襲来は失敗します。これを「弘安の役」と言います。この2度の元寇の戦場は主に九州北部でした。

下写真は元寇防塁跡(生の松原)

江戸時代、現在の福岡県は筑前国(ちくぜんのくに)、豊前国(ぶぜんのくに)、筑後国(ちくごのくに)の3国に分けられていました。筑前国を領有していたのが福岡藩でした。慶長5年(1600)黒田長政が関ヶ原の戦いの功により、52万3100石で立藩しました。ちなみに、福岡の名は、藩主・黒田長政の先祖の出身地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に由来しています。なお、長政は豊臣秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛の長男です。豊前国は、細川忠興(ただおき)が慶長7年(1602)に小倉城を築き、小倉を中心に39万9000石の土地を治めていました。藩主として歌や茶を好み、さらに海外貿易にも尽力しています。筑後国は久留米藩で、元和6年(1620)有馬豊氏(とようじ)が21万石の領主として入封しています。なお、久留米藩内では度々一揆が起こっています。享保13年(1728)の「上三郡一揆」や、宝暦4年(1754)の「全藩一揆」、天保3年(1832)の「竹野郡打毀(たかのぐんうちこわし)」などがありますが、このうちの、藩の人別銀の賦課を端に発し、大闘争に発展した全藩一揆は、鎮圧に2ヶ月も続き、首謀者など死刑16人という犠牲を出しました。

明治4年(1871)、全国に261あった藩を廃止して府県を置くという「廃藩置県」で、筑前国は「福岡県」と「秋月県」が、豊前国は「小倉県」と「千束(ちづか)県」「中津県」が、筑後国は「久留米県」と「柳川県」「三池県」が置かれました。その後、明治9年(1876)に8県は統合されて現在の福岡県が誕生しました。明治から昭和にかけては、筑豊などで石炭の産出が盛んになり、これを活用して北部に鉄鋼や機械、電気、化学、窯業などを中心とする「北九州工業地帯」が形成されました。さらに、南部の大牟田地区には「重化学コンビナート」も形成され、日本の近代化と経済の発展に寄与しました。

明治政府はその後「殖産振興」や「富国強兵」といったスローガンを掲げ、日清戦争の勝利後には製鉄所の設立を目指します。近くに炭田があること、防備にも優れていることを設置の条件として、「八幡村」(現在の北九州市八幡区)が選ばれました。明治30年(1899)に着工し、3年後の明治34年(1901)に八幡製鐡所が完成。同年2月5日には東田第一高炉に火入れが行われ、鉄鉱石から鉄を取り出し最終の製品製造まで行う、日本初の“銑鋼一貫”の製鐡所が誕生しました。軍事産業の中心として官営により日本鉄鋼業を主導しました。(現在は合併されて新日本製鉄)

昭和30年代(1955〜1964頃)の高度成長期になると、同時に進行したエネルギー改革により石炭産業は衰退していきます。筑豊炭田は、北九州市や直方(のおがた)市、飯塚市など6市4郡にまたがる日本有数の石炭の産地で、全長は約47キロにも及び、東西の幅は12〜28キロ、面積は787平方キロ余り。明治初期から昭和51年(1976)までに約100年間で8億トンもの石炭が産出されています。かつて筑豊炭田で採掘された石炭を北九州の港へ運ぶ役割を担っていたJR筑豊線や後藤寺線のあちこちにある小高い山は、炭鉱で選炭した後に残る岩石や粗悪な石炭を積み上げてできたボタ山(捨石の集積場)です。

昭和17年(1942)に関門海底鉄道トンネルが開通。地下鉄は、九州では最初に昭和56年(1981)福岡に開通しました。平成18年(2006)には北九州空港も開港し、福岡市街から5km以内というアクセスの良い空港で、日本だけでなくハブ空港としてアジアをはじめ世界との交流を促進しています。平成23年(2011)には博多駅と鹿児島中央駅を結ぶ九州新幹線鹿児島ルートが全通しました。

下写真は都心の中にある福岡国際空港

交通基盤や文化機能が向上した福岡に、九州の経済や文化、行政の中枢機能の集積が進む中、今では福岡は九州、西日本、アジアの中でも、特色のある魅力的な広域交流都市となっています。そして、その利便性だけでなく、政令指定都市として住みやすく整備され、労働・子育て・医療など生活するうえで必要な様々な条件にも恵まれた福岡には、近年多くのベンチャー企業が集まり移住する人たちが年々増え続けています。また、この整った住環境の中で地元福岡に住み続けようとする人も多い街です。

経済だけでなく「恵まれた住環境」と共に、福岡は「価値ある街」として発展を続けています。

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