福岡の風物詩として名高い伝統行事「博多どんたくまつり」と「博多祇園山笠」。

博多どんたくは、毎年5月3日と5月4日に開催される祭りです。

「博多どんたく」は、江戸時代に福岡城へ福岡藩の藩主黒田氏を表敬するために赴く年賀行事として毎年正月15日に行われていた博多松囃子が基となり発展してきたといわれています。福禄寿、恵比寿、大黒天の三福神と稚児の松囃子が繰り出し、それに「通りもん」と呼ばれる博多の町人達が、趣向を凝らした出で立ちや出し物で続きます。福岡城を出たのち三福神と稚児は城下の武家町から福岡を通って博多へ戻り、神社仏閣や町内有力者の家を祝います。通りもんは知人や商家に演芸を披露して祝いました。

「どんたく」はオランダ語で「日曜日」「休日」を表す「Zondag(ゾンターク)」が語源の言葉で、明治4年(1871)に明治政府が制定した祝日を指す言葉として広めた言葉です。それに合わせるように、明治政府公認の祝日を祝って繰り出す松囃子や通りもんによる祝いの行事を博多では「どんたく」と呼ぶようになったと言われています。その後、「休日」という意味での「どんたく」は、博多のお祝い行事の代名詞のように言われるようになり「博多どんたく」という言葉として定着してきました。

太平洋戦争の戦時中に一時中止されていた博多どんたくは、戦争終結後の昭和21年(1946)5月に「博多復興祭」として空襲被災後の瓦礫の町の中で、子供山笠とともに松囃子が行われるようになりました。翌年の昭和22年(1947)には福岡市、福岡商工会議所、商店街の代表や市民の有志によって「博多どんたく」として5月の24日・25日に開催されることになり、3台の花電と16か所の仮設舞台が設置されました。昭和24年(1949)からは前年に制定された憲法記念日に合わせ、5月3日と翌4日を開催日とし、名称は「松囃子どんたく港祭り」とされることになります。その後、祝日である5月5日のこどもの日を含めた三日間どんたくが行われた年もあったようです。

昭和32年(1957)に「博多どんたく松囃子港祭り振興会」が結成され、祭りの期間は5月3日と4日と定められました。昭和36年(1961)になると5月2日には「どんたく前夜祭」が福岡スポーツセンターで開催されることになります。その後、昭和37年(1962)には「福岡市民の祭り振興会」が結成され、どんたくは「博多どんたく港まつり」と名称を改められることになりました。同時に市民の祭りとして広く一般市民から参加者を募る方式となり「博多」にとらわれず福岡市全体の祭りとして多くの「どんたく隊」が結成され、壮大な祭りとして行われるようになりました。

なお、拍子木や鳴子(なるこ)ではなく「しゃもじ」を持って踊る人が多いどんたくですが、食事の用意をしていた商家のおかみさんがどんたくの囃子につられて、そのとき手にあったしゃもじを叩きながら外に飛び出し、行列に加わったのがはじまりといわれています。

 

博多祇園山笠は、毎年7月1日から15日にかけて開催される祭りです。

博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)は、博多の総鎮守として知られる櫛田神社(福岡市博多区)奉納神事の一つです。毎年7月1日から15日にかけて開催される素戔嗚尊(すさのおのみこと)に対して奉納される祇園祭です。770年を超える歴史と伝統のある祭りで、正式名は櫛田神社祇園例大祭といいます

 開催期間中は、10数メートルの絢爛豪華な飾り山笠が市内10数箇所に立ち並びます。(一般の祭りの神興や山車では、御霊を宿らせる「御神入れ」を、この祭りでは「山笠」や「ヤマ」と呼びます)祭り後半となる10日から重さ1トンもの舁き山笠が町中を勇壮に疾走し、祭りは、静の山笠から動の山笠へ移ります。そして、15日の早朝4時59分の追い山笠では、七基の舁き山笠が約5キロ先の「回り止め」を目指して夜明けの博多の町を駆け抜け博多祇園山笠はクライマックスを迎えます。

この博多祇園山笠の起源は諸説ありますが、1241年に宋から帰国した聖一国師が博多の町に流行していた疫病を封じ込めるために、町人の担ぐ施餓鬼棚に乗って祈祷水を撒いたのが始まりというのが通説となっています。

 「追い山」については、昔は、高さ15メートル前後の山笠をゆっくりと舁いていたようですが、『筑前櫛田社鑑(ちくぜんくしだしゃかがみ)』という記録によると、貞享四(1687)年正月、竪町(恵比須流)に嫁いだ土居町 (土居流)の花嫁が、花婿ともども里帰りしたところ、土居町の若者が余興として花婿に桶をかぶせるなどしたため、竪町の若者が怒って押しかけ一触即発になります。その場は何とか収ましたが、夏のお祭りの際の恨みが残っていた恵比須流が、昼飯を食べていた土居流を追い越そうと走り出したところ、土居流も負けてはならずと走り出し、これが評判を呼び「追い山」に発展した。ということのようです。

なお、山笠期間中は「キュウリを食ベてはいけない」という「禁忌(きんき」」があります。これは、輪切りにしたキュウリの切り口が、櫛田神社の祇園神の神紋の図柄になっている木瓜(ボケ)の花と似ていることで「畏れ多くもご神紋を口に入れるとは」と、氏子たちが食べることを避けるようにしたことに由来するというのが通説です。

古くから多くの人々を魅了してきた「博多どんたく」「博多祇園山笠」は、これからも福岡全体を活性させる風物詩として受け継がれていくことでしょう。

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